日常にある投影

今回は日常で起こる投影について考えてみたい。

心理学で言う投影とは

心理学における投影とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる。(「投影」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』より)

 

要は自分の気持ちであるはずなのに、それを他者に押し付け、他者がそう思っているように感じると言う現象のことだ。

厄介なのは、自分の気持ちであったはずなのに、それを意識できないところにある。

自分の感情は忘れられてしまう。

 

 

心理テストに投影法(ロールシャッハテストが有名)と言うものがある。

曖昧な刺激を被検査者に見せ、その反応によって、どのような投影が起こっているのかを分析すると言う方法だ。

投影は人だけでなく、モノに対しても起こる

 

 

日本では月の模様は一般的に「餅をついているウサギ」に見える。

本当にそう見えるだろうか?(僕はそうは見えない)

 

 

海外でも月の見え方はいろいろある。

 

例えば、

カナダ→「バケツを運ぶ少女」

北ヨーロッパ→「本を読むおばあさん」

南ヨーロッパ→「カニ

東ヨーロッパ・アメリカ→「女性の横顔」

アラビア→「吠えているライオン」

他にも「犬」「ワニ」「ロバ」等々、同じ模様でも、見え方が全く違うところが面白い。

 

 

どんな見え方が正解ということではない。

10人いれば10人違う見え方がある。

月の模様がの他に、天井のシミが人の顔に見えたり、雲の形が何か別のモノに見えたりするという経験は誰しもあると思う。

 

 

このような現象も自分の無意識のイメージを投影することによって起こっていると考えられる。

普段僕たちは自分で考え、意志を持って生活していると思っている。

しかし、自分たちにも気づかない心の深いところに無意識は存在し、活動している。

意識していない、何気ない瞬間に無意識は顔を出すことがある。

それが月の模様だったり、漠然としたモノ(人)を通してイメージとして現れることがある。

 

・何か理由はわからないけれど苦手なモノ

・なぜか一緒にいると腹が立つ人

・生理的に無理な人

・お隣さんに対して不快感がある

・嫌いな芸能人、好きな芸能人

・過剰に反応してしまう出来事やニュース

 

などなど

 

これらの感情は元を辿れば、自分がそうさせているのかもしれない。

意識的には説明のつかない感情なども、無意識の投影が働いてる可能性がある。

そういう意味で、月の模様も、感情的にさせる人やモノも、自分の心の鏡と言えるかもしれない。

 

 

他人の不倫事情に対して、どうして自分はそこまで感情的になるのだろうか?

炎上が起こるのはなぜだろうか?

善悪に対して潔癖になっている現代社会では何が起こっているのだろうか?

 

そう言ったことを考える今日この頃。