精神エネルギーという考え方

空想の話

もし、人に精神的なエネルギーというものがあって、それが数値で表せたり、そのエネルギーのやりとりができると仮定してみたら面白い。

ドラゴンボールHUNTER×HUNTERNarutoなどの漫画のように。

スカウターで気の量を確認できたり、念能力やチャクラが目に見えたりしたら。

 

漫画のような肉体的な力に関するエネルギーとはまた異なるが、精神的なエネルギー(分かりやすく考えるなら気持ちの強さ)みたいなものがあるとして、人はそのやり取りを人間関係で行なっているのではないか。

 

例えば、何かにイライラしている人がいて、腹いせに他の誰かを殴ったり、あおり運転をしたりする。

やった方はスッキリして、やられた側はその分のエネルギーまで引き受けさせられる。

怒り(70)パンチ→恐怖(40)怒り(30)受け取る時に気持ちは変わるかもしれないが、エネルギーを送られるような感じ。(数値に意味はない)f:id:kaaariii:20190907140153p:plain

 

 

もっと日常的に考えると

上司のパワハラ(怒り)→社員A(悲しみ、恐怖、怒り)

社員Aの愚痴(不満、怒り)→Aの友人B(不満)

上司はその前に奥さんから、家庭や子育てに関する愚痴や不満を言われたりしているかもしれない。

精神エネルギーはどんどん次の人へと移されていく。

 

こういう場合もある

恋人ができたCさんのノロケ話(喜び、楽しみ)→友人D(喜び、妬み、怒り)

クラスメイトからのイジリ(楽しみ)→イジられ役(楽しみ、悲しみ)

精神エネルギーを発信する側と受け取る側ではその質が変化して伝わる場合もある。

 

 

精神エネルギーはその感情の質を変えながら、人から人へと伝えられていく。

発信する側が受け取る側のことを配慮しなければ、楽しみを共有することもできるが、苦痛を与えることもある。

 

また1対1でのやり取りだけとも限らない。

特にSNS上では一人から不特定多数に個人的な気持ちを発信できる。

逆にネットの炎上は多数から一人に対して、気持ちをぶつけられる。

 

エネルギーの量的なことで考えれば、一人の発信を多数で受け取る分には、聞き流せるレベルまでに分散される。

しかし、多数から一人に対してでは、何気なく放ったものでも蓄積され相当量のエネルギーに膨れ上がる。(孫悟空元気玉みたいな)

その質が良いものであれば、人を元気にさせることもできるし、悪意があれば簡単に心を折ることもできてしまう。

 

精神エネルギーのやり取りをしていると考えるなら、それは循環していくものと理解することもできる。

誰かに与えたものは、やがて何かの形で自分に返ってくる。

ボランティアが援助に行ったつもりが、逆に元気をもらった、何か強い影響を受けたと言う体験をする人がいる。

そこではエネルギーを与えるだけでなく、受け取ってもいるからであろう。

 

誰かにエネルギーを発信する時、どのように発信するべきかを考えることも大切であろう。

受取手も同様である。

どのように解釈するかで、エネルギーの質が変化する。

エネルギーの質を変えることができることは、重要なことだ。

 

お笑い芸人などは、ネガティブなエネルギーを受けた時、それをネタとしてポジティブなエネルギーに変えて客に返してくれる。

芸人に限らず、アーティストや何かを創造する人は、あらゆるエネルギーを互換する能力が優れている。

 

人と関わる仕事(どの仕事も誰かと関わっているのだが)、カウンセラーもそうだが、特に人の感情に直接的に関わる仕事に就く人は、精神エネルギーの変換と自分なりの発信も身につけなければいけないのではないだろうか。

そうでないとパンクしてしまう。

 

以上

精神エネルギーがもしあったら、という空想のお話