吉本の問題、メディアの問題、そして自分自身の問題
ここ数日、メディアでは吉本興業と芸人たちの話題が盛りだくさん流されている。
人気芸人の引退に関わる出来事なだけに世間も大注目だ。
振り返るまでもないが、もともとは特殊詐欺グループが行ったイベントに芸人が闇営業という形で関わったというところから始まっている。
芸人たちはそのイベント主催者が犯罪グループだと知らなかったわけだが、金銭を受け取ったかどうかという点で、当初もらっていないと発言したことから、問題が大きくなってしまった。
当然、世間的からは大バッシング、大炎上。
しかし事態は宮迫と田村亮の自らが開いた会見によりさら展開し、今度は吉本興業の体制の問題へと変わっていった。
吉本興業と芸人たちとの間にある問題がここに来て、どっと表面化し、会見を開くもさらに燃え上がってしまった形だ。
一斉に吉本興業、岡本社長叩きは加速し、当然のように進退を迫られる。
これに乗っかった形で芸人たちも今までも不満を一気にぶちまけている印象である。
しかし、ここで一度冷静に立ち止まって考えてみると、疑問が浮かんでくる。
これは何の問題で、誰の為の会見だったんだっけ?と。
それぞれの会見を見てみると、一様にまずは詐欺グループ被害者の方への謝罪が述べられている。
それはつまり被害に遭った人のお金をもらっていたということについてだ。
ということは、被害者の方への謝罪会見になるのだろうか?
それが会見の主旨だと言われると、僕はしっくりこない。
事実、今はすでに話題は大きくズレている。
そもそも被害者の方は、会見を受けて気持ちがスッキリしただろうか?
頑張って想像して被害者の気持ちになってみよう。
まず謝って欲しいのは、何と言っても騙してきた張本人たちだ。
お金だって返して欲しい。
闇営業のイベントでお金を受け取った芸人たち、フライデーに載った楽しそうな集合写真を見ると、腹が立つかもしれない。
でも引退どうのこうのされても別にお金が返ってくるわけでもないし、気持ちよくはない。
というか話題がすり替えられて、詐欺グループが注目されてない方が悔しい。
奴らはもう普通に社会に出てるのかな?ニュース見て笑ってるのかな?
吉本のことよりそっちを教えてくれよ、そっちを叩いてくれよ。
僕が被害者なら、そんな風に思いそうだ。
ではこの会見は誰のために?
会見の本質は世間への説明だ。
注目されていればいるほど、会見が求められる。
つまり視聴者と、視聴率を得られるマスメディアのために行われている。
そしてその内容の印象によって、あっちこっちに炎上先は変わる。
あれほど嘘をついたとしてバッシングの対象となっていた宮迫たちは、ブラック事務所に所属する可哀想な芸人たちに変わり。
憎むべきは吉本興業、あのパワハラ社長を許しておけん、となる。
吉本興業と芸人たちの問題なのであれば、どうしてここまで注目する必要があろうか。
確かに人気の芸人たちが辞めて、テレビで見れなくなるのは悲しい。
しかし、炎上させていたのはまさに視聴者側ではないのか。
ブラックな会社は許せない。
周りの会社はどうだろうか?もっとブラックな企業はないだろうか?
過労死や自殺する人がいる会社が日本にはまだまだあるのではないか?
問題は今や吉本興業と芸人たちの契約の内容だ。
芸能事務所は聞くところによると、芸能人は個人事業主という形で、事務所と個々で契約を交わすらしい。
ということはもはや個人と会社の問題。
そう、個人の問題だ。
契約に不満があるなら、訴えるなり、変えていくための話し合いをする。
今まで契約書もなく、給与の取り組みも曖昧で、なぜ不満の声こそあれ変えようとしなかったのか。
これは誰かの問題ではなく、個人の問題だ。
会社の圧力がそれこそ問題なのなら、労働組合的な団体を作ろうとする動きがあってもよかったはずだ。
事務所と個人事業主は対等なら、交渉だってできる。
なぜしなかったのか。
これまでの慣習に疑いもなく従ってきたからである。
何も吉本興業にだけ言えることではない。
自分の身の回りの学校や会社でも、疑問に思うこと、不満に思うことはあるはずだ。
変わらないと思い、主張もなく、流されるままになってはいないだろうか?
この吉本興業の話題がここまで炎上しているのは、そこに何かを重ねた人たちが心を動かされているからではないだろうか。
自身の周りの不満や苛立ちをこの騒動に投影し、自分のことのように腹を立てたり、岡本社長が辞めることを望んだり、炎上騒ぎをどこか気持ちよく感じたりしているのではないだろうか。
ただメディアからの情報で感じたままにSNSに投稿するだけでは、自分の中の本質的な不満は、一時的にしか解消されない。
本当に考えるべきは何なのだろうか。
最後に僕はお笑いは大好きだ。