9月、不登校、自殺について
夏休みが終わった。
9月は不登校そして子どもの自殺が増えるということで、最近ではメディアやネットでもその話題を目にすることがある。
スクールカウンセラーの僕も休み明け、何か変わったことが起きていないか、いつもより注意を払う。
長い休みの後の学校、いつもに増して憂鬱になる子どもが少なからずいる。
日曜日のサザエさんを見ると、なんとなく嫌だなぁと思う感じ。
今だって休み明けの仕事は、たとえ仕事が嫌いでなくても、行きたくないなと思うことがある。
大人だって思うこと。学校が嫌いじゃなくても思うこと。
もし学校でイジメられてたりしたら、学校に居場所がないと感じていたりしたら、その憂鬱さはどんなだろう。
次の日の朝が来るのが怖くて眠れないかもしれない。
喉が詰まって、ご飯も食べれないし、美味しく感じないかもしれない。
頭やお腹が痛くて、薬を飲んでも医者に行っても原因がわからないと言われるかもしれない。
何をしても、誰といても、楽しいと思えないかもしれない。
自分一人だけ、みんなが普通に行っている学校に行けなくて、孤独で、一生このままのような気持ちになるかもしれない。
これは想像。
だから本当のところは分からない。
どれほど辛いのか、案外辛くないのか、何をしてる時が楽しいのか、本当は学校に行きたいのか行きたくないのか、
部屋で何をしているのか、どんな動画を見たりゲームをして過ごしているのか、ネットには友達がいるのか、どんな本や漫画や音楽が好きなのか、
彼らの声を聴かないと分からない。
ゆっくり、辛抱強く。
「学校に行かなくてもいい」ということが良いとされているが、
もしかしたら、学校に行きたくないわけでもないかもしれない。
「行きたいのに、行けない」のかもしれない。
大事なのは、「学校に行かないという選択肢もある」ということ。
そして学校に行かないという選択肢から、実はさらにいろんな選択肢が広がっている。
誰かと同じよう生きる必要はない。
不登校であるということ。
不登校を続けるということ。
これは学校へのストライキ。
それを維持し続けることは、実はすごくエネルギーがいること。
学校に行かないことを選択した人は弱いわけではない。