カウンセリング的、相談の乗り方 〜聞くことと聴くこと〜

カウンセリングでは聴くことと聞くことが求められる。

相手の話に傾聴し、気持ちを理解しようと努める。

聴という字は、音楽を聴く、視聴者、聴衆、といった言葉に使われる。

共通しているのは、聴く側は受け身であるということ。

聴く側と聴かせる側(発信する側)は、はっきり分かれている。

 

一方、聞く(訊くという方がわかりやすいかもしれないが)には、もう少し能動的なニュアンスを含んでいる。

それは相手に対して、質問したり、議題を投げかけて、聞きだすという側面だ。

聞く側の知りたいことや疑問が出発点になっている。

 

 

人間関係を円滑にしていく上で、共感は重要な役割を担っている

特に日本人は共感することに長けている。

察すること、空気を読むこと、以心伝心、暗黙の了解、、、これらもお互いの共感があって、成り立っている。

時に共感が行き過ぎて、それに苦しめられている人も少なくないが、その話は一度置いておく。

 

 

悩んでいる人に対して、共感的に聴いてあげることは大切である。

例えば、

愚痴をこぼした時にアドバイスをされ、「ただ聴いて欲しかっただけなのに」という気持ちを経験したことがある人もいると思う。

この場合、どうすべきかは本人も既に解っていて、解っているけどできないところに困った気持ちがある。

解決策が知りたいのではなく、共感を求めているのだ。

 

 

共感はただひたすら聴いてあげればいい、というわけではない

 

悩みや愚痴を聞く経験があれば思い出してみてほしい。

全て共感できることばかりだっただろうか?

気持ちはわからなくもないが、ここはどうだろう?とか

それは考えすぎでは?とか

それこそ意見を言いたくなるようなこともある。

 

 

当然のことだが、人と人とが全く同じように感じることはない。

話を一方的に聴くことに徹して、共感している様に装うことはできる。

「うんうん」とうなづいてみたり、相手の目をじっと見てみたり、考えるそぶりを見せることもできる。

しかし、小手先だけで共感したふりをしていても、それが偽りだと相手に伝わることもある。

時には、胡散臭い、わざとらしい、いいかげん、とマイナスに受け取られてしまうこともある。

 

営業などのテクニックとしては共感を装うことは有効かもしれない。

一方、親しい人から相談された時、親しいからこそ無理をして共感はしたくない(嘘をつきたくない)と思うこともあるだろう。

 

 

共感には一方的に聴くという側面だけでなく、こちらから聞いていくことも実は大切である。

 

聞くべきことは聞きたいこと

悩み相談にしても愚痴にしても、その人が今まさに不満に思っている状況があるはずである。

まずはその状況を充分に自分が理解できるように聞いていく。

これは自分が共感できるポイントを探す作業とも言える。

具体的にイメージすることで、共感しやすくもなる。

相手の話の中に入っていきやすくなる。

⚠️但し、自分の聞きたいことが優先されて、相手の話したい筋と違う方向に行ってしまうのは本末転倒である。

あくまで相手の話の筋に沿って聞いていくべきである。

 

 

違和感に気づく

先も述べたが、全く同じように考え、感じる人はいない。

当然どこかにズレは生じるはずである。

ここは共感できるが、ここは自分と少し違う。自分ならこうする。

恐らく、アドバイスしたくなる人は、ここで意見を言ってしまうのだろう。

 

ズレを感じるのは自然なことである。

むしろ共感しすぎて、ズレに対して鈍感になっている人の方が問題と言える。

このズレたところこそ、その人たらしめる個性であり、悩みや問題となっているポイントである。

 

ここでアドバイスや、自分の意見を述べるかどうかは、相手のためを思うなら慎重になるべきだろう。

では聞くという形で伝えるのはどうだろう。

「僕ならこう思いそうだけど、あなたはどう思う?」

ズレを確認し、かつそれが良い悪いでもなく、相手が感じたことを聞いていく

 

また、相手が感じたことをもう少し掘り下げて聞く。

「そう思うのは、どういうことなんだろう?」「その気持ちについて、もう少し教えて」

共感した気にならず、むしろ違和感の方を大事にすることで、より理解を深めることができる。

 

 

想像力で補う

ズレた上で共感できるのは、想像力があるからである。

自分ならそうはならないかもしれないが、そう思っても不思議ではない

わからんでもない。という感覚である。

 

相談者の性格を想像すれば、そう思うだろうな。

相談者の性格を考えて、さらにその相談者と関わる人はこんなことを感じていそうだな。

そういったことを踏まえて、補足するために聞いていくのも有効だ。

 

 

それでも共感できなければ、無理して共感する必要はない

しかし同時に共感できる材料を自分は持ち合わせていなかった、あるいは自分の中の何かが抵抗して共感できない気持ちになっているという可能性もある。

ということを頭の片隅に置いておくのが良い。

 

全く共感できない人を前にして、自分とは合わないと決めつけてしまう前に、自分について振り返る機会にするのが建設的である。

 

 

聞くことと聴くことを通して本当の共感ができる。

本当の共感はむしろズレを意識した先、さらに想像力によって得ることができる。