自殺予防教育について

最近「9月1日問題」という言葉をよく耳にするようになった。

夏休みが明けると同時に、不登校や子どもの自殺が増加する傾向があることから、問題視されている。

 

日本は自殺大国と言われるほど自殺が多い国なのだが、全体の自殺者数としては減少傾向にある。

一方、子どもの数は減っているのに子どもの自殺者数は横ばいかむしろ少し増加している。

 

近年、教育委員会は子どもの自殺予防教育プログラムを実施するようになってきた。

この自殺予防教育というのは、子どもと親、教員に対して、実施される。

 

内容

①子どもに向けて

・自分の気持ちに気づく練習

辛いことがあると知る。言葉にしてみる。

 

・心が苦しい時は誰にでもあることである

おかしなことではない。あなたが弱いわけではない。

 

・信頼できる大人に伝える

自分一人で抱えないこと。友人から「死にたい」などと相談された場合も同じ。

 

 

②大人に向けて

・心の危機のサインを知る。

自殺リスクの高い児童の傾向を知る。

 

・相談された時の対応の仕方を学ぶ。

自殺は良くない、命は大切など、正論を伝えるのではなく理解を示す。など

 

・社会資源、地域の援助機関を知る。

外部で相談できるところを知っておく。

 

こういった内容を、リーフレットで配布したり、事前に研修を受けた教員や講師が「心の健康の授業」などとして子どもたちに伝える。

 

今回、その自殺予防教育がいかに大事かという講話を研修で聞いてきたわけであるが、この自殺予防について前々から思うことがあったので、少し書いていこうと思う。

 

 

前提として自殺予防という観点はすごく必要なことであると思う。

その上で、自殺予防教育の内容についての疑問に思ったことを書いていく。

 

1、本当に死にたいと思っている子の胸に響くものであるか

自殺予防のリーフレットを見たときに、当たり前のことが書いてあると感じた。

これらはすべての児童に配布されるものであり、慎重に検討され尽くされたものだ。

自殺について扱う場合、特に言葉を選び、刺激にならないように配慮されている。

そのため万人に受け入れられるものでなければならない。

 

逆に言えば、一個人に刺さるには薄められすぎている気がした。

 

もちろん、死にたいわけではないが悩みがあるという子どもはたくさんいる。

そういう子にとって、自殺予防教育は自分の苦しさに気づけたり、誰かに相談する大切さを知るきっかけになるかもしれない。

 

しかし、今まさに死にたいと思っている子にとって、これらの内容は響くのか疑問がある。

 

何が理由かは置いておくが、もう明日死ぬと決めている子がいたとして、

心の授業として、リーフレットが配られ「苦しい時は誰かに相談しよう」などと言われて死ぬのをやめようと思えるだろうか。

 

 

昨年の子どもの自殺者数は357人。

子どもの数は大体1500万人。

実際の数にすると、子どもの自殺者数は全体の0.003%に満たない。

しかし確実に存在するこの子どもたちに、如何に響くかを考えて実践しなければ、本当の自殺予防にならないのではないか。

 

2、子どもの自殺がなぜ起きるのかという視点が議論され尽くしていない

子どもの自殺事案について、ニュースなどで取り上げられるのは、イジメの案件が圧倒的に多い。

しかし、実際は子どもの自殺の要因は、家庭のことから、うつ病などの精神疾患、将来への不安など、様々ある。

 

これらは要因として挙げられているが、これは表向きな要因だと僕は思う。

どういうことかと言うと、上に挙げた要因とされるものを体験している子で、自殺してしまう子としない子がいる。

自殺する子としない子の違いはなんなのか。

 

その子自身の性格だったり、周りの環境だったりが複雑に絡んでいるのだろうが、もっと掘り下げて考えるべきだと思う。

ニュースでも自殺の原因はイジメであったと主張する遺族と、イジメが原因ではないとする学校の対立などが報道されたりするが、これが原因だと言えるものが本当にあるのだろうか。

 

答えなど用意せず、議論していくことが、自殺予防の手がかりを考える上で必要なのではないだろうか。

 

3、死について語ることがタブー視されている社会

僕は子どもの頃、死というものが恐ろしくてたまらなくなった時期があった。

今ではそれほど感じないのだが、同じようなことを思ったことがあるという人が結構いる。

この死の恐怖について、学校の授業などで扱われたことはない。

それだけでなく、死んだらどうなるのか、なぜ人は生きるのか、そういった問いを学校では扱わない

 

それらの問いは個人の宗教観にも関わってくるので、デリケートな問題とされているのか。

もしくは明確な答えがないものなので、扱えないのか。

(僕は常々、学校教育は答えのない問題を扱うのが下手くそだと感じている)

 

自殺を考えるなら、「死」についても考えなければいけないはずである。

もし子どもに「どうして自殺したらダメなの?」と問われた時、大人はどう反応するだろうか。

 

 

最後に

死にたいと思っている子は、生きている現在が苦しみに満ちているのではないか。

生きる意味を失い、死によって解放されたいと思っているのではないか。

そんな子にとって、今の自殺予防教育が救いになるようには僕個人としては想像できない。

 

それより死のテーマを扱っていくことが、重要なのではないかと思う。

それも1回ではなく、長く時間をかけて、哲学する力をつける方が大事ではないか。

死について考えることは同時に、生について考えることでもある。

これは教育というより、大人も一緒になって考えることが望ましい。

 

自殺予防教育などというのは、目に見える現象に対して継ぎ接ぎ的な対処をしているだけのように感じる。

それよりも考える力、生きる力をつけていくことが、結果的に子どもだけでなく大人の自殺者数も減らすことになるのではないか。